「炎の蜃気楼」非公式個人ブログです 管理人の主観にあふれた女性向け小説です

八咫烏 ~yatagarasu~



森の中で、17



森の中で、17

「あら?義明?義明じゃないの?」
煌びやかな夜景をバックに、1組のカップルが腕を組んで入って来た。片方は、モデルのようにスタイルの良い女だ。10センチ近いピンヒールを見事に履きこなし、颯爽と歩いて来る。スワロスキーのストーンをはめ込んだネイルが、ほの暗いBARの間接照明に、キラリと照らされた。
「ああ・・・」
名前も覚えていない。でも、確か1度寝た女だ。嬌声の大きさが興ざめで、それだけを覚えている。
「義明、久しぶりじゃない?今までどうしていたの?」
「ああ。遭難していた」
「えっ、あの記事、本当だったの?同姓同名かと思っていたのよ」
一時期、奇跡の生還者だとか、サバイバル者として、マスコミに取り上げられた。すぐに上司が手を回し、それ以上詮索されることはなかったが。
女は、連れの男を蝿でも追い払うように手の甲で、しっしっと追いはらった。
女よりも背の低い、白い眼鏡をかけたいかにも業界人っぽい男は、ぶつくさ言ったが、女がすごい顔で何か言ったら、すごすごと、今入って来たドアから帰って行った。
女は、義明と呼んだ男の隣のストールに座り、細く長い脚を見せつけるように腰かけた。胸が広く開いたワンピースだ。その上に、ジバンシィのジャケットを羽織っていた。そのジャケットを、スタッフに預ける仕草も慣れている。バーキンのバックは、椅子の背に置いた。
そして、うれしそうにいったのだ。
「やっぱり、私に釣り合う男は、こうでなくっちゃ」
男は、横目でと女を一瞥した。
2人とも、高層ホテルの最上階にある、このBARの常連でもある。

男の視線の先に、上手く胸の開いた部分が見えるような角度に座る。計算高い。
「じゃあ、ここにいるのは幽霊かしら?」
「確かめてみるか?」
そう言うと、女は、ウフフと、媚びのある笑顔を見せた。
「ふふ、その嫌みったらしい言い方、間違いないわね。本物よ」
ニヤリと微笑んだ女が、マティーニを頼み、そのグラスの華奢な脚を、煌びやかな指でつまんだ。真っ赤に塗られた唇が、薄いグラスの淵に張り付いて、跡を残す。
・・・これでは、家事はできまい。
男は、不意にそう思った。
はなから、家庭的な女など求めたことはない。ただ欲望のみのためにある女に、家事とか、そんなことを望むことはない。
こんな飾りたてた爪では、料理はできない。
・・・それより、その爪は、どうやって切るのだ。
なんでそんな考えが浮かんだのか、自分でも不思議だ。

そして、頭の中に、あるシーンが浮んだ。まるで見たことのある映画か、テレビのシーンのようだ。
後ろから抱き抱えるようにして、誰かの爪を切っている。
どうしてそんなことになったか・・・
その人は、実家の母が、裁縫をする時に使う糸切り鋏のようなもので、爪を切っていた。その手付きが危なっかしかった。
普段は、器用に料理したり、竹を削いだりしているのに、こんなことは不器用なようだ。
・・・時代劇のワンシーンか?
・・・その爪を切っている人の事情まで、なぜ知っている?
「切りづらいでしょ?これで、切ってあげますよ」
そう言ったのは自分だ。
そして、その人を、後ろから抱き抱えるようにして、その爪を切っている。
「すげぇ、よく切れる。痛くないし!」
爪切りごときで感動している。爪を上下に挟んで、テコの原理で切れる。どこにでもある普通の爪切りだ。たまたま荷物に入っていた。糸切り鋏よりは、切れ味もいいに決まっている。
「これ、便利だなぁ、すげぇ」
乱暴な口調だった。料理とか上手いはずだったが、その口調は、女ではないはずだ。
前に抱えたその人の耳朶が、真っ赤だった。

・・・あれは誰だ。
あれはいつだ・・・
その人を思うと、胸が締め付けられるような痛みを伴う。
・・・この感情はなんだ。

隣の女は、2杯、3杯と、グラスを重ねる。そのうちに、酔ったかもと、肩に頭を乗せて来た。
「もう歩けないわ。休んで行きたい」
女はそう言うと、期待に満ちた目で見上げてきた。
義明は、ゴールドのカードで支払いを済ませると、女の腰を抱くようにBARを後にした。今夜。泊まることにしていた部屋に向かった。
ダブルの部屋だ。
大柄な自分には、狭いベットは寝た気がしない。
女が、シャワールームに入っていった。慣れたものだ。
義明は、上着を椅子にかけ、ネクタイを緩めた。
今回のミッションは、ある芸能人のスパイ容疑の確認作業だ。北のスパイらしい。だから、業界人に近づいている。
付き合いの派手なこの女なら、何か情報があるかもしれない。

義明は、窓の外を見ていた。
部屋の灯りは、最小限にした。
大きな窓ガラスには、ダブルのベッドに、簡単なデスクに椅子が映る。
女が脱ぎ散らかした花柄のワンピースや、靴下、下着までが映っている。
そして、本当に幽霊のような、無表情の自分の顔。
生きている人間とは思えない顔だ。
眼下には、都会の灯りが、赤や黄色、様々に色が閃いている。車のヘッドライトは、細い帯を作って流れていく。
その線は、流れ星だ。

・・・流星群を見た。
いつ、どこで・・・

また、不意に浮かぶ。
なんのデジャブか・・・

地上の闇が、星の輝きを際立たせている。
縁側に寝そべって、星空を眺めた。少し寒いくらいの夜だった。
隣には、誰かいた。
言ったんだ。
あなたは太陽のような人ですね。
と・・・そしたら、
おまえは、月のような奴だ。
と、笑ったんだ。
ああ、その笑顔は、まさしく太陽のようだった・・・
なんで、そんな話になったのか、話の前後は思い出せない。
そのセリフだけが、頭に浮かんだ。
・・・漆黒の髪だった。
・・・闇よりも黒い瞳だった。
その瞳は、漆黒なのに、どこまでも透き通るような輝きを持っている。
星よりも煌めいていた。
あの瞳に映る自分は、いつも中学生のようにはにかんでいた。












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森の中で、16



森の中で、16

「この辺でいいだろう」
八海と八神、高耶はその前で止まった。
高耶が目を閉じ、胸の前で両手を合わせる。凛とした美しい姿勢が、茜に染まり出した森に浮かび上がった。自らも、発光しているようだ。
その低く少し掠れ声、なぜか今朝は一段と掠れている。その良く通る声が、木立ちにこだまする。
静かに、真言を唱え始めた。
目の前の木立ちが、キラキラと光って見えた。高耶の真言に呼応するように、僅かに、光りの反射が左右に開いていくように見える。その間だけは、周りの木立ちとは違うような、光り方に見える。
八海と八神が、その違う空間に、ごろりと担いできたものを横たえた。
それを、高耶は潤むように光る瞳で見つめた。
しかし、それは、ほんの一瞬だった。後ろには、腹心の家臣八海と八神がいる。
夜が明けきらぬうちに、屋敷に戻らなくてはならない。
いつもと変わらぬ毎日を迎えるために。
義務は果たした。
・・・ありがとう。
高耶の口の中で、それは小さく呟かれた。後ろにいる、2人には聴こえないように、囁いた。もちろん、横たわる者には聞こえるはずがない。
そして、片膝を付いて屈むと、横たわるものの額に、人差し指と中指の2本の指を充てた。
口の中で何か唱える。
「ここを出れば、ここの記憶は消えるように、そう結界に仕組まれているのではないですか?」
八神が聞いてきた。
「念のためだ。こいつの精神力は常人とは違う。二重にかけることで、完壁だ」
その主人は、振り向きもせず答えた。
・・・これでいい。
高耶は、大きく頷く。
目が覚めたら、全て忘れているだろう。もしくは何か思い出しても、夢だったと思うだろう。
そして、横たわるもののポケットの中から、ここに来てすぐに、充電させてくれと言っていた携帯と呼んでいた小さな金属のものを取り出すと、両手にはさむように包み込んだ。ピッと小さな電子音が鳴った。画面を確かめると、また、ポケットに戻した。
「景虎様、日が昇ります」
八海が東の空を見上げ、高耶に言った。高耶はうむと、頷くと、また、真言を唱える。
光りが違う空間が、閉じたようだ。
また、そこはキラキラと光り出した。

「奇跡です。息子さんは、山中を3ヶ月も彷徨っていたようです。それなのに、どこも身体には異常はありません・・・」
カーテンが風になびいている。気持ちの良い風だ。酸素をたくさん含んだ、梅雨前の爽やかな風だ。地方の病院らしい。
ピッピッと規則正しい機械音がする。
アルコール消毒の匂い。
そして、すすり泣く声は母親の声だ。
懐かしい・・・しかし、なぜ泣いている?
少し興奮気味に伝えていたのは、首から聴診器をぶら下げた、白い白衣。まだ若い医師だ。
白い、服・・・
その時、頭の奥がズキンと痛んだ。
うっ・・・
思わず声が漏れた。
「あっ、義明!」
母親が手を握っている。
「こ、ここ、は・・・」
「先生、義明が、気が付きました!」
医師は駆け寄り、瞳孔を診たり、脈をとったりした。
「もう大丈夫です。栄養状態もいいし、いくらか脱水症状はありましたが、1日点滴をすれば良くなります。しかし、奇跡だ。あんな山の中で・・・詳しい話は、落ち着いてから聴かせていただくとして・・・今日は、1日、ゆっくり寝ていてください」
眼鏡の奥が優しそうな医師だ。
わけがわからないけれど、かすかに頷いた。
「義明・・・あなたが登山が趣味だったなんて、知らなかったわ。行き先も何も言わないで、もう、ほんとにもう・・・」
明らかにそこには、一回りもふた回りも小さくなった母親がいた。僅かの間にずいぶん年老いて見える。白髪も増えた。そうさせたのは、自分か・・・
「義明、もうダメだと思っていたよ。仏のご加護だな。」
同じように老けた父親が、その後ろに立っている。今日は、スーツ姿だ。珍しい。
「義明、まったく心配かけやがって、・・・しばらくは自宅謹慎だ。ねぇ父さん」
からかうような声は長兄だ。少し声が震えているように聴こえる。
「兄さん・・・」
「おまえ、山の中で倒れていたんだぞ。GPSのおかげで、たまたま近くにいた自衛隊に助けられたんだぞ」
「えっ、GPS?携帯は、とっくに充電切れしていて・・・」
「いや、そういえばそうだな。なんでだ?」
兄は首を傾げた。
枕元にあった携帯には、僅かだが、充電が残っている。
・・・なぜ

橘義明は、山中で倒れていたところを救助された。普段人が近寄らない山中だ。
自衛隊にも、その捜索が密かに依頼されていたので、山中訓練の自衛隊に発見されたのだ。
絶望視されていた。それが、無傷で、栄養状態も良く見つかった。
しかし、その発見までがどこでどうしていたのか、すべて謎だった。肝心な本人がわからない。
覚えていないと言うばかりだ。
発見された場所は、近くに、村も集落もないところだった。ひたすら、山中を彷徨っていたことになる。
橘義明は、彷徨っていたとされる3ヶ月間の記憶がなかった。
身体も異常がなく、服も身体も身綺麗だった。髭も充ててある。誰かの世話になっていたと考えるのが普通だ。
しかし、本人にはその記憶がない。
橘義明の記憶は、ミッションを完了して、帰ろうとして、迷ったところまでだ。山中を彷徨って山桜を見た。そこで、記憶がぷっつり途切れている。

「宇宙人にでも、さらわれていたんじゃないのか?」
長兄がからかう。
「いやいや、狐か狸に化かされていたんだろう?」
次兄までノッてきた。
3日間の入院で、橘義明は、実家に戻った。
職場にも連絡をした。しばらく、静養するようにとの指示だ。ミッションは完了したのは、確認済みだ。
そして、橘義明は、元の生活に戻った。
違ったのは、しばらく、実家の寺を手伝いながら静養すること。
そして、本人は、3ヶ月間の記憶がないのが、気になっていた。
どこで、何をしていたのだろう・・・
何か大切なことを忘れているようで、落ち着かなかった。




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森の中で、15



森の中で、15

「こんなのおかしいです。わけがわからない!今どき、ナンセンスだ」
直江は、信じられないと大きな声を出した。
高耶は、冷ややかに見える横目で直江を見ている。
「ナンセンスが何かわからないけど、この儀式は避けて通れない。せめて、オレが嫌な相手じゃない者にしてくれと頼んだ。そして、選んだのがおまえだ。これが理由だ」
あくまでも、高耶は冷静だった。
そして、もう一度、頼むと言った。
「向こうに帰れば、おまえだって好きな女がいるのかしれない。でも、これは決して相手を裏切ってはいない。儀式だ。ここだけのことだ。だから、頼む」
高耶は、起き上がりもう一度居住まいを正すと、両手を付いて頭を下げた。
「そんなことまで、あなたはしないでください」
何百年も間、誇り高くこの村を率ってきた末裔だ。
「これで、儀式とか、慣例にうるさい連中は黙るはずなんだ。前にも言ったが、オレはこの世界を終わりにしたい。もう後世に残したくないんだ。そのためのおまえだ。わかってくれ」
「高耶さん・・・」
当主としての責任だとか、使命だとか、この若さで背負っている高耶の、その必死さに直江は、気の毒になってきた。

高耶のそばに行くと、その手を取り言った。
「頭をあげて下さい」
高耶はゆっくり頭を上げた。そして、直江が掴んだ手を、そのまま直江の首の後ろに回した。
「高耶さん」
まさか、高耶がそんな積極的に出るとは思っていなかった直江は、驚いて動けない。
高耶は構わず、そっと唇を寄せてきた。
目の前に見える高耶の顔は、少し青ざめているようだった。
闇に目が慣れて、ほのかに高耶の顔が見えてくる。
高耶のまつ毛が、かすかに震えている。
高耶は、何度も啄ばむように唇を合わせた。
どのくらい、口付けていたのだろう。
高耶は、直江の後頭部に指を入れると、その少し明るめの、鳶色の髪をかき回した。高耶のその指先に必死さと、切なさが同居している。
直江は、そのまま高耶のなすがまま、しばらく唇を合わせじっとしてた。
高耶は、直江の唇を舌でそっと舐めた。何度も舐めた。しかし、それ以上は、どうして良いのかわからないらしく、高耶の舌が、左右に動くだった。
その必死さに、直江は高耶が切なく感じていた。その一生懸命さに、高耶の健気さに愛しさが募ってきた。
「・・・これから、どうすればいい」
直江に聞くでもなく、高耶はひとり言のように呟いた。
そして、意を決したように高耶は、直江のうなじに舌を這わせた。首に回していた手は、直江の胸を下りた。そのおずおずとした手の動きは、あまりにも新鮮で直江は、知らず口もとがほころんだ。

だんだんと、高耶の息遣いが早くなる。
「初めて、なんでしょ?」
「言うな」
「俺を触っているだけで、自分で感じているの?」
「だから、黙れ」
乱暴な口とは裏腹に、高耶の吐息は甘くなるばかりだ。あの毅然とした昼間の姿の、どこからこんな声が出でくるのか・・・その吐息は甘い。
あっん。
白い喉仏を晒して、のけ反った。高耶が直江の膝に乗ってきた。その中心部があたったようだ。高耶のものはすでに硬くなっている。もちろん、直江のものだ。
いつもの高耶からは、想像もつかない声だ。
半開きになった唇が、闇に光った。
なんとも艶かしい。
高耶が、直江の着物の裾を割って、その中心部に手を伸ばしてきた。そして、その硬くなったものを握った。
あっ
ちょっとした、その高耶の驚きの声ですら、直江の奥で、ズキリと何かが反応し始めた。

・・・そこまでだった。
直江の自制心が保ててたのは・・・

直江は、そのまま高耶を押し倒した。
「高耶さん・・・もう、許しませんよ。こんなに煽って・・・」
直江は、高耶の白い着物を肩から剥いだ。
思ったよりも白い、高耶の肌が闇に浮かび上がった。感触は、硬い筋肉なのに、滑らかで、手のひらに吸い付いてくるようだ。
そして、その反応の敏感さ・・・
「感じやすいんですね」
「うるさい」
高耶の全身を撫でる。唇で味わう。
その甘美な味わいに、直江は、我を忘れていく。
溺れて、いく・・・
その素肌に直江は、のめり込んでいく自分を感じた。
い草の香りだけでない、官能を刺激する香の匂いが部屋を満たしていった。
それ以上に、直江は、高耶に酔っていった。







  1. 森の中で
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森の中で、14



森の中で、14

直江は、腰を上げた。ずっと、屈んだ姿勢は思いの外、腰に負担がくるものだ。
直江の親ぐらいの、周りにいた人々は、直江の倍のスピードで、次々に苗を泥に挿していく。挿すだけだろうなんて、簡単に考えていたら、最初に挿した苗は、見事に倒れた。それを見た、高耶がこうやるんだと、泥の中に苗を挟んだ指をぐいと弧を描いて挿し込んだ。
「こうすれば、雨が降っても早々流されない。根が付くんだ」
当主自ら、率先して手伝っている。
年老いた村人たちを労わるように、当主自ら鍬も振る。長い年月、この村は、
そうやってた支え合ってきたのだろう。
しかし、良く存続してきたものだ。
「直江様、申し訳ねぇなあ。でも、助かるよ」
村人たちの明るい笑顔だけが救いか。
うるさいくらいの蛙の鳴き声に、川岸には、菖蒲の花が咲いている。空には雲雀が囀り、山から下りてきた風は涼しい。
直江がここに来て、2ヶ月が経とうとしている。

小さな田んぼが、所狭しと並んでいる。限られた土地に、自ら食べる分を作る。あとは、山々に入って、必要な獣や木の実などを採って暮らしている。
高耶が言った。村を見下ろし、どんな暮らしなのか、直江が聞いたらいと細かく答えてくれた。
「川には、この時季魚が泳ぐ。それを採って甘露煮にして、冬場の食糧がない時に食べるんだ。山菜もそうだ。この時季、いろいろ芽が一斉に出る。それを乾燥させたり煮たり、保存食にするんだ。」
「着物は、どうしているのですか?」
「麻や、綿から糸を紡ぐ。あとは、桑の葉から、絹を採る。それを織るんだ」
ポリエステルや、レーヨンなど化学繊維が誕生するまで、人間の身体を包むものは自然の中にあったのだ。
食器は木から作り、漆を塗る。見事な細工をしてある。
村人は、田んぼも耕せは、冬には職人となり、機を織り、工芸もする。
そうやって、長い年月をひっそりと暮らしてきたのだろう。
それは、彼らには幸せだったのか、不幸だったのか、直江にはわからない。
でも、信じる者がいて、変わらない毎日があって、愛おしい人がそばにいるなら、そんな平凡な日々は、幸せなのだと思う。直江は、自分のこれまでの日々を思った。あっちの世界に戻ればまたあの日々が待っている。死と隣り合わせの、闘いの日々が。

その日、田植えが終わると、八海に湯浴みをするように言われた。
確かに泥だらけだ。井戸で洗ったくらいでは、染み込んだ泥が落ちない。
この村では、風呂は毎日入るものではない習慣のようだ。以前は、当主たる者は毎日湯浴みをしていたが、高耶は寒い時季ならともかく暖かくなると、水で身体を拭いている。朝の読経の前にも、身体をきれいに清めてから唱えるようだ。
この村は、決して裕福ではない。自然と共にあると言えば聞こえはいいが、自然は、時に安定しない。飢餓に繋がる、日照りに大雨、地震や地滑りなど災害はつきものだ。
高耶は、自ら贅沢を律し、質素に暮らしているようだった。それが、嫌で逃げ出した母親の罪滅ぼしのように思える。

直江が風呂から出ると、白い着物が用意されていた。
これを着ろということか?
直江は、何かあるのだろうと思いながら袖を通した。
八海がこちらへと案内する。
高耶の寝室だった。
そこには、すでに、高耶が布団の上に座っていた。
高耶も、真新しい白い着物を着ている。
「どういうことですか?」
直江は、驚いて八海を見た。
八海は、三つ指ついて、恭しくお辞儀をして、出て行った。
静かに障子が閉まる。廊下に人の気配がするが、姿は見せない。
直江は、高耶の方を向き直った。
「どういうことですか?」
高耶は、居住まいを正し、両手をついてお辞儀をする。
「新枕、よろしくお願いします」
「えっ」
驚く直江を見ようともせず、高耶は布団の上掛けをはいだ。
そして、そこに身を横たえた。
仰ぐように、宙を見た。そして、静かに目をつぶった。
「灯りは消してくれ」
「高耶さん!」
直江は、障子を開け、出て行こうとした。
高耶が上半身を起こし、低い声で直江の背中に言った。
「オレに恥をかかすな。外には、宿直役の八海と八神がいる」
「宿直がいるのですか!」
「決まりだから」
「高耶さん!」
高耶は、口を尖らし、ロウソクを灯りをふっと消した。



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森の中で、13



森の中で、13

「おまえは・・・」
2人の息を呑むような空気に、ロウソクの灯りがゆらゆらと揺れた。漆の実から作られたロウソクの、オレンジ色の灯りが部屋を包む。開け放れた障子の向こうを、ほのかに照らし出す。
しばらく睨み合った後、高耶が口を開いた。
直江は、ただ黙って高耶を見ている。高耶のその視線の鋭さは、睨んでいるようにも見える。そして、直江は、譲れない思いが直江の口調を頑なにしていた。
争いたいわけじゃない。それなのに、この状況は・・・高耶にも、直江にも同じ思いがあるのに、お互い口にはできない。
沈黙を破るように、やがて、高耶が静かに口を開いた。
「おまえは、帰りたいか?」
「えっ?」
「おまえのいた場所に帰りたいか?」
高耶は直江から目を逸らした。遠くを見ているようだった。
直江は、高耶の横顔を見つめていた。何も言わず黙って見ていたが、直江の肩の力が抜けた。
高耶の声には剣はない。あるのは、憐憫だ。高耶の心の奥にある、柔らかい部分に触れたような気がした。
「・・・私は、きっと死んだことになっていると思います」
「どういうことだ」
「予定の日程で戻れないと言うことが、意味するものです」
「失敗したということになるのか?」
直江は、握っていた拳の力を抜いた。同時に気持ちも柔らかくなった。話しておきたいという気持ちが湧き上がる。
「私は、特殊な任務をこなす、仕事をしていました」
「特殊?」
「国の暗部のこと、裏の仕事です」
「裏の仕事?忍びの者か?」
「まぁそのようなものです」
「そうか・・・で、何を探っていたんだ?」
まさか、ここの存在か・・・
直江には、高耶の声にならない声が聞こえた気がした。小さく首を振って続けた。
「外国の秘密基地を探っていたんです」
「外国・・・」
「ええ、海の向こうの外国が日本のあちこちに特殊な電波を出し、飛行機や通信機器を妨害したり、傍聴したり、狂わしたり、そんな目的のために仕掛けた、そんな小さな基地をあちこちに、密かに作っているのです。それを見つけ出し破壊する。それが私の任務です」
「よくわからないが、言えることは、今も戦争は、無くなっていないのか」
「表立った戦争はしていませんよ。」
「裏に潜った戦いがあって、そのためのおまえか・・・」
「ええ、私は、国の犬となって、働いているのです」
自嘲気味の直江だ。高耶には、直江が自分の仕事に誇りを持っているようには思えなかった。
「だから、戻らないことは失敗を意味するのか」
「はい。任務は完了しましたけどね」
「その帰り道襲われた、となるのか?」
「はい」
厳しい世界だ。そんな中で直江は、生きてきたのか。高耶は、また黙って考え込むような様子を見せた。
ロウソクの灯りからは、高耶の表情が見えなかった。何を感じ、何を考えているのだろう。
「おまえ、そういえば家族は?」
「ですから、実家には両親と兄弟がいます。妻と子はいません。いつどうなるか、相手国にスパイとして捕まるか、悪くすれば、死ぬかわからないんです。そんな暮らし。結婚なんてできませんでした」
「そうか・・・」
高耶は考えすぎるタイプだ。直江の言葉の奥にあるものを考えているのだろう。また、しばらく黙った。
「親は、心配しているだろうな」
「どうでしょうか?今に始まったことではないので、諦めているかもしれません」
「そんなこと言うな」
高耶はムキになって否定した。
「家族は、私の仕事のことは知りませんから、まだどこかへふらふらしているのだと思っているのかもしれません」
「家族にも秘密なのか」
「犬ですから」
「おまえ・・・」

そう言ったきり、高耶はまた黙った。
ロウソクだけが、チリチリと短くなる。
「下がれ!」
高耶は書物に目を移すと、直江の方は見ようともせず、冷たく言ったのだ。
「わかりました。失礼します」
直江もこれ以上言うこともないと、もう一度高耶を見たが、その視線は直江の方に向かられることはない。直江は、静かに部屋から出て行った。
五月晴れの夜空だ。
明日も晴れるだろう。
そろそろ、本格的にここを出よう。
ずるずると、長い時間ここにいすぎた。
直江は、よく澄んだ星空を見上げた。
下弦の月が、梅雨前の夜空を照らしていた。
廊下から、村を見やれば、蛍の光のようにほのかに灯りが見えた。
夜も、みな、早い。
日の出と共に起き出す村の人と、明日は田植えを手伝うことになっていた。
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森の中で、12



森の中で、12

「高耶さん、答えたくなかったら、答えなくてもいいです」
直江が、少しの躊躇を見せながら、高耶に問うた。
「なんだ?」
「出て行ったお父様とお母様の消息は、わかっているのですか?」
妹を父親のところへやりたいって言っても、どこにいるかわからなければ託しようがない。
「ああ、だいたいだけど・・・」
直江は、この若者に、現代人にも凡人にも、計り知れない悩みと苦しみをいただいているのがわかるようになっていた。
その上で見せる強さ・・・年相応の屈託のない、笑顔を見せたかと思うと、当主としての貫禄や威厳を見せる。この村の者達を、守らなくてはならないという責務と重圧もある。毘沙門天の力を譲り受けているという不思議な力を持っていたり、そして、家族のことになると時折辛そうな目をする。
直江は、この歳でそれらをすべて背負っている高耶のことが、時折切なくなる。もう少し、誰かに頼るとか、甘えるとかすれば楽になるのに。しかし、当主としてのプライドが阻むのだろうか。八海がいろいろ手を尽くしてくれているが、高耶は、全面的に信用はしても、心開いているようには見えなかった。長年の当主の立場がそうさせるのか、もしかしたら、当主だった母親がその立場を捨てたことにあるような気がしている。

でも、最近では、少し直江には心開いてくれているような気がしてきた。
よそ者だからか、この村の人にも言えないようなことを言う時がある。それがうれしく感じる。なぜそう感じるのかよくわからない。でも、誰にも頼らない孤高の存在から頼られるということは、自分の自尊心をくすぐるには十分かもしれない。
「どうするのですか?美弥さんを」
「うん、それが悩みどころだ。美弥は、行きたくないと言うし・・・」
側で見ていても、美弥は高耶を慕っている。高耶は、誰にでも慕われている。
「美弥さんは外に出たことは・・・」
「もちろん、ない」
オレもだ、と小さな声で付け足した。
「驚くでしょうね」
「だろうな」
わざと素っ気なく言う。本当は、美弥さん以上に心配と不安を持っている証拠だろあ。
「私が・・・」
「ダメだ」
直江が口を開いたたとたん、高耶は否定した。何を言わんとしているかわかったのだろう。自分が美弥さんを案内して、連れて行く・・・直江は、そう言おうとした。
「でも・・・」
「この話は終わりだ」
また、有無を言わせぬ強さを見せる。
さっきの心細そうな目は、別人のもののように、鋭い視線を前に向けた。
この人は・・・
直江は、これまでに知らなかったタイプだ。そう思った。
「そうは言っても、あなたは、自分でもわからないところへ美弥さんを送り出す気なんですか?」
「一度言った。この話は終わりだ」
「しかし!」
「くどい!」
「どうして?」
「話は終わった」
「私の話も聞いてください。あなたは、大事な問題から目を背けている。犠牲になるのは美弥さんだ」
「この話はもういいと言っている。それに・・・おまえに何がわかるんだ!」
「わからないのはあなただ」
直江も引かなかった。これまでこれだけ高耶に反発する者はいなかったのだろう。高耶は声を荒あげた。直江も黙ってはいられなかった。
この村の、他の誰が外のことを知っているのだ。外から来た自分にしかわからないだろう。
直江は、高耶にそう言いたかった。
くっと、唇を噛むと、直江は、高耶を睨むように見た。
高耶も高耶で、自分に食い下がる直江を、その漆黒の瞳で睨みつけるように、見つめた。
お互いに、今にも、襟首を掴みかねんばかりの視線だった。
爽やかな風が頬を撫でても、二人はしばし動かなかった。





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森の中で、11



森の中で、11

「あの~、直江様は、伴天連様なんですか?」
「伴天連?」
ああ、あのバテレンか。戦国時代キリスト教が入って来ていたっけ・・・
直江は、卯太郎の手伝いをして、薪を割っていた。薪など割ったことはない。斧を振り下ろすだけだと思っていたが、案外コツがある。木目を見ないと上手く割れないのだ。でも、長身から振り下ろす斧には遠心力が加わって、威力がある。直江は、卯太郎が難儀していたので、代わりにやってみたら、面白くて次々に薪の山ができ始めた。昼下がり、額には薄っすら汗が浮かびだした頃だ。卯太郎はそれをすごいと何度も讃め称える。悪い気はしなかった。
唐突に、卯太郎が質問するまっすぐな目に、直江は手を止めた。
「直江様の髪の色や、眼の色が・・・」
卯太郎は、直江に少し慣れたのだろうか。警戒を解いだのがわかった。それでも、ちょっと引き気味ではあったが、おそるおそる聴いてきた。きっと、周りの人達も皆、疑問に思っていたのだろう。聞くに聞けず、卯太郎がその任を任されたというところだ。この時代、異国の者は、別な生物だったのだろう。怖いけど、聴かなければならない。卯太郎の目はそう言っている。

「バテレンに見えるか?」
「はい、言葉遣いも少し違いますし、景虎様も大きいですが、直江様は、もっと背がお高い。」
直江が軽く首を横に振った。
卯太郎は、違うんですねと、ホッとした顔をした。
「ああ、そうだな。子どもの頃から、ずっと一番大きかったよ」
直江は優しく微笑んだ。その微笑みに気を良くしたのか、卯太郎はホッとしたのだろう。
卯太郎は少し怯えような目だったが、直江には微笑ましく写る。この村は、食糧が限られているせいか、そこまで長身の者はいない。いや、この村だけでなく、今までも、直江ほど大きい者はそうはいなかった。
「卯太郎、おまえだって、まだこれから伸びるだろう?」
「はい、儂は景虎様のように大きい男になりたいです」
「そうか」
景虎は、絶大な人気がある。その面倒見の良さもある。何より卯太郎を弟のように可愛がっているようだ。
あの時、景虎の両脇には、もう一人小姓がいたはずだが・・・卯太郎と同じような着物に袴姿。髪も同じように、後ろで結いてあった。
「卯太郎、そういえば、もう一人の小姓は?」
「あの方は、小姓ではありません」
「えっ?」
「少年の成りをしてましたが、景虎様の妹君です」
「少女だったのか」
謁見の際は、よく見てなかったが、そういえば高耶に似ていた気がした。黒目がちな瞳とか、涼しげな目元とか・・・まだ少年だから、性差を感じないだけだと思っていた。
「景虎様は、美弥様、あっ妹君は美弥様とおっしゃるのですが、とても可愛がってらして・・・でも、その将来をとても心配しておられます」
「将来?」
「この村には、若者がいないからです」
「おまえは?」
「私は・・・ダメなんです。私は・・・虎の里の者、人間ではありません」
「えっ!」
多少の事では動じない直江だが、この村は驚くことばかりだ。

夜の帳が降りる。
高耶の部屋には灯りが点いていた。
漆からとった油で作った、貴重なロウソクだ。
他の者は、菜種油など点している。部屋は仄暗い。
「直江か?」
「はい、少しいいですか?」
「入れ」
障子を開け放してあった。廊下から声をかけた。
高耶は、正座して書物を読んでいた。
直江は、入ると障子を閉め、両手を付いてお辞儀をした。どうしても聞きたかった。
「堅苦しくするなよ」
気さくに声をかける。こんなところも高耶の魅力だろう。
直江は、ちょっとだけ微笑んだ。そして、すぐに真剣な表情になる。それを横目で高耶は見て、居住まいを正した。直江の話は、きっと大事な話だと思ったのだ。
「どうして、私なんですか?」
「ああ?」
「どうして女性でなく、私を呼んだんですか?」
そんなことか・・・
高耶は、小さく息をはいて、身体の力を抜いた。
「そのことか。まぁ、こんな山奥に女が入り込むことなんて、あんまりねぇからよ」
「今は、女性にも登山ブームなんですよ。山ガールなんて言葉が生まれていますよ」
「山ガール?山姥の間違いじゃねえぇ?
茶化そうとした。
「本当ですよ」
直江は、納得しない。直江は片膝をじりっと前に出した。にじり寄られて、高耶は観念したかのように口を開いた。
「・・・おまえから、甘い匂いがしたんだ。」
「えっ」
思いもよらぬ理由だった。
「毘沙門天の匂いだ。それをオレは感じた」
「匂い、ですか・・・」
まだ直江が、その仕事に就いたばかりで、訓練していた頃、昔の人間のほうが五感が優れていたと耳にした。現代人は、豊かさと便利さと引き換えに、本能を弱めたと聴いたことがある。
・・・これだけの自然とともに生きていれば、五感も研ぎ澄まされるかもしれない。
直江は、小さくうなづいて了解した。でも、まだ肝心な答えがもらえていない。
「本当は、私は、妹さんの新枕の相手だったのですか?」
「卯太郎から聴いたのか?」
直江は頷いた。でも、卯太郎から聴いた話からの推測だ。
「それは違う」
即答だった。
「では、なぜ私?」
「だから・・・」
匂いだけで?
「美弥は、もう少ししたら父親の元へやりたいんだ。言っただろ?後は、今いる人間だけで、終わりにしたいと」
高耶は、直江をじっと見つめた。その目には嘘はなかった。
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森の中で、10



森の中で、10

「オレは、朝起きたら、いつも、最初に、本堂へ来るんだぜ」
振り向きもせず、高耶はそう言った。
後ろ姿からも、凛とした清廉さと意思の強さを感じる。
本堂に響く少しかすれた声で、熱心に唱えていた真言を止めると、誰に向かって言うでもなくそう言った。そこにいるのは、直江だとわかっていて言っているのは間違いない。
その口調は、当主というより、その辺の高校生と同じだ。直江は、ゆっくり微笑んだ。

高耶の屋敷には、仏像を祀った本堂のようなものがある。そこには、木像であるが、毘沙門天が鎮座していた。
その前で、高耶は真言を唱える。
「朝一番のお勤めのようなものですね。」
そう直江が答えると、やっと振り向いた。それは、僧侶としての直江ならでの答えだ。
真言を唱える・・・
高耶の不思議な力は、毘沙門天の力が授かっていると言った。直江は、どう作用して、どういう状態かはよくわからないが、この世には、科学で説明できないことはよくある。
「結界は人の目には見えない。でも、オレには感じるんだ」
直江は、高耶をじっと見つめながら、不思議な力を授かったものだと思った。

高耶が真言を唱える。
そうすることで、結界を張るのだ。目には見えない。他の人間は気づかない。風も陽の光も通すけれど、人間は通さない。毎日毎日、綻びができることもある結界を張り直すことで、外部からこの村を隔離したのだ。守ったのかもしれない。
それが一番の当主の役目・・・
この村に来た初代景虎が、毘沙門天から譲り受けた力だ。

この里まで逃げ延びた景虎は、何を思ってここに結界を張ったのか。
それは、追っ手への恐怖か、生死をともにした家臣を守るのことか・・・
直江は、今更ながらその武将を思った。武将にとって、負けは死を意味する。逃げるは、負けよりももっと醜い。
今となっては、ここまで逃げ果せたのは、彼の意志なのか、周りが死を許さなかったのかはわからない。家臣からしてみたら、武将さえ生きていれば、いつかまた、決起して起死回生することもあると信じたのだろう。
しかし、この地に辿り着いた時の景虎の心境を思うと、直江は、胸がいっぱいになった。
負けたのだ。
武士にとって、それは何より屈辱であり、苦痛であったに違いない。誇り高き武将であればあるほど、屈辱や敗北感は大きかったはずだ。だから、追い詰められたほとんどの武将は自刃する。
現代人には、到底できやしない覚悟と、自尊心だ。
その想いを受け継いで来た、高耶の一族。

直江は寺の生まれだ。朝が早いのは子どものからの習いだ。
その上、その研ぎ澄まされた感覚は、特殊な仕事に就いていたせいだ。少しの気配で目がさめる。
ここに運び込まれ、身体が回復するよりも早く、高耶の真言を唱える声を捉えていた。
声のする方へ吸い寄せられるように、その声の方に向かって行くと、柱の影からその姿を見つめていた。
謁見した次の日だった。
真言を唱えていた高耶の声が急に止むと、突然に言った。
「覗いていないで、入って来たらどうだ?」
まさか、気づかれていたとは思いもよらなかった直江は驚いた。直江は、気配を消すのが上手い。それは、寺の生まれだと言うことも、特殊任務のためとも言える。
春とはいえ、日が昇る前は一番空気がひんやりとしていた。
凛と張り詰めた空気。灯りもない薄暗い中、毘沙門天の仏像が仄かに浮かんで見える。
・・・この暗さで俺が見えたのか。それとも、気配を感じとったのか。
直江は、黙って高耶の後ろに座った。
高耶はまだ、前を向いたまま黙っている。直江は、高耶が唱えていた続きの真言を唱え出した。それには、高耶も意外だったらしく、一瞬目を見開いたが、ニヤリと唇の片方を持ち上げ、すぐに直江の真言に同調し始めたのだ。
直江の低い声が響く。高耶の少しかすれ気味の声が、直江の声に絡むように交わる。
朝の静けさの中、2人の声が山合いの谷にまで響いた。

「真言も知っていたのか?」
「実家は、真言宗の寺なんです」
「そうか、それでか・・・」
高耶が納得したように言った。
一通り読経が終わると、外に出た。
高耶が空を見上げている。結界を確認しているのだろう。
東の空が茜に染まり出した。日が昇ってくる。屋敷の中には、人が動き出した気配がし始めた。台所の方から煙が上がり出した。1日の始まりだ。
2人は並んで、茜に染まる山を見つめた。

それから、朝は一緒に真言を唱えるようになった。



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森の中で、9



森の中で、9

高耶の1日は規則正しかった。
日の出とともに起き、皆と屋敷の掃除をする。例えば、雑巾がけも筋力を鍛えるのにはもってこいだと笑う。箒もかけるし、朝餉の用意も率先して動いている。
当主といっても、とても皆に慕われているのは、そんなところにあるようだ。
とはいえ、直江から見ればすべてが重労働だ。掃除機もモップもないのだ。もちろん炊飯器も電子レンジもない。ひとつひとつ、人の手を介す。
煮炊きするにも、火を起こすことから始めなければならない。熾火というものを残してはあったが。スイッチをひねれば、ガスも水も出る生活の直江には、知識として教科書や、祖父母の話からわかってはいても驚くことばかりだ。
・・・やめたいんだ
高耶の言葉は嘘ではない。
他の暮らしを知っている者としては、この暮らしから、この世界から、抜け出したいと思うのは、当たり前だ。
100年前、いや、戦前はこれに近かっただろうが、最近の進歩は加速度を増して変化している。この村は、外部との接触がないことで、変わらない生活を続けていたのだ。
・・・それが本当は、いいことのような気もする。
自然を破壊し、便利さと引き替えに失ったものも少なくはない。
この暮らしの是非は、直江には、判断はつけられない。

「直江、飯だぞ」
当主自ら呼びに来た。
「はい、ただいま」
「おまえ、飯の用意も手伝えよ」
「えっ、私料理したことないんです」
「はぁ?じゃあ、オレが教えてやるからさ。剣の稽古のあと、晩めしの用意するんだぞ」
「私に包丁を握れと・・・」
「包丁使わなくても、やることはあるぞ」
「はい、わかりました」
「なんだ、その顔は・・・情けない顔すんなよ」
高耶が笑う。屈託のない笑顔だ。
直江は、とても不思議に思う。知れば知るほど、高耶という人間は不思議だった。
最初会った、謁見というにふさわしいようなあの時の景虎とは別人のように、高耶は直江に懐きはじめた。
食事から、剣の稽古、卯太郎達に勉強をみてやる間にも、直江を傍らにおく。
2人は、一緒に過ごす時間が増えたのだ。何より、高耶自身が直江から学ぼうとした。高耶は、貪欲なまでに、直江の知識を得ようとする。それは、天文学から、歴史、数学、物理、そして、化学、薬学まで及び、多岐にわたった。
高耶の知識は、生活に根ざしたものだ。それに直江からの知識で、理論付けするだけなので、吸収するのは早かった。
そして、特に、外の世界のことをこと細かく知りたがった。

季節は、春から初夏に変わりつつある。
直江が来てから、季節が変わっていた。
山々は緑を濃くしている。村の田んぼは田植えに余念がない。
「今は、これも機械で植えるんですよ」
「そうなのか!」
「ここは、まったく外部との交流がないのですか?外から来るとか、外に行くこともないのですか?」
剣の稽古の後、2人は水組み場で汗を拭いていた。上半身着物を脱いでも寒くはない。寧ろ、火照った身体に風が気持ちがいい。
「本当は、この村に来たのは、直江が初めてじゃないんだ。オレが生まれる前、やっぱりこの結界の中に入って来た者がいる」
「えっ、結界があるですか?」
驚く内容の話だったが、直江は、なんとなくそう思っていた。
・・・結界がある。
自分の予想が的中した。
「ああ。昔結界の中に入ってきたのは、オレの父さんだ」
「お父さんは、外部の方なんですか?」
「そうだ。新枕の相手に、オレの母さんが呼んだ」
「呼べるんですか!」
「おまえは、オレが呼んだんだ」
単に迷っただけだと思ったら、高耶が呼んだまでは、思いもよらなかった。
だから、この俺が迷ったのか・・・
直江は合点した。
「この村は、地図にも載っていなかったんです。空中に、飛行機や衛星が飛んでいる時代にですよ。それなのに、わからないなんてないと思いました」
「飛行機?衛星?」
高耶の疑問に、直江は、丁寧に説明する。
「そうか、人は空を飛べるようになったのか・・・」
高耶は、遠い目をした。
「それより、結界とは、どうやって張るのですか?」
直江は、直江で、高耶の力に興味津々だ。
「オレは、毘沙門天の力を授かっている。この村の当主は、代々それを受け継ぐんだ」
「科学では、説明できないこともあるものですね」
「オレは、おまえが近くに来たのを感じとっていた。オレの母さんもそうだった」
「そういえば、高耶さんのご両親は?」
「フッ」
高耶は、目を伏せたのだ。
高耶の父親が山で迷った時、それを察して呼び込んだのが、高耶の母だった。
血族結婚が多いこの村で、当主たる者は、外部から伴侶を得る。
やがて、父親は出て行ったそうだ。この生活に耐えられなかったのだ。
母親は、それを気に病んで、当主の座を捨て、父親の後を追った。
「まだ、オレが小さい時だ。この村より、子どもよりも、大事だったんだろうな」
「高耶さん・・・」
「でも、この村の者は、外へ出ると苦労するみたいだ」
・・・でしょうね。
直江は、その言葉を呑み込んだ。
「だから、オレで終わりにしたい。今いる者だけで終わりにしたいんだ」
「高耶さん・・・」
並々ならぬ、高耶の決心だった。




  1. 森の中で
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森の中で、8

A様、感想ありがとうございます。とても参考になります。それと!教えていただきありがとうございます!そうでした!たかにゃんのカテゴリを、中途半端にしたままでした。本日、整理いたしました。同じ記事をダブルであげてましたしね(T ^ T)
たかにゃんを書いた時が、一番忙しかったです。いやぁ、乗り切った感があります!
これからは、通常運転に戻ります。(笑)
『森の中で』も、やっと動き出したって感じですね!



森の中で、8


宵やみが迫る中、しばし、沈黙が続いた2人を割るように、少年が顔を出した。
「景虎様!暗くなるまでに剣の稽古をお願いします」
「おっ、卯太郎、課題は済んだのか?」
「はい、論語は写し終えました」
「よし、なかなか熱心でいいぞ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。俺、一回ぐらい景虎様に勝ってみたんです」
「オレに勝つ?100年早いぞ。じゃあ、来い」
景虎の顔になって、高耶は、卯太郎と呼んだ最初に会った時、両脇にいた少年の1人と木刀を取った。
高耶は一瞬直江を見たが、直江が小さく頷いたのを見て、稽古を始めた。

カン、カンと、木刀を交える乾いた音が山合いに響く。卯太郎は、拙い動きであったが、とても真剣な表情だ。懸命に高耶に食い下がる。しかし、力の差は歴然で、高耶は笑みさえ浮かべている。
「卯太郎、脇が甘いぞ」
「はい!」
「右がガラガラだ」
「はい!」
「脚が付いて来てないぞ」
「はい!」
手加減しているのだろうが、容赦無く打ち込んで行く。
圧倒的に高耶は強かった。軽い身のこなし、しなやかな動き、隙のない構え。そして、素早い動き。
これなら、インターハイなど出たら優勝も夢じゃない。直江はそう思って見ていた。
幾ばくもなく、卯太郎の息が上がり、足元がヨタついている。
「なんだ。これしきのことで、終わりか?」
「いえ、もう一本!」
卯太郎が気の毒になった。高耶は汗一つかいてもいなけれは、息さえ乱していない。
「よかったら、私のお相手していただけないでしょうか?」
「できるのか?」
「嗜み程度ですけれど」
「ふふ、言ったな。でも、手加減しねぇぞ」
「はい、望むところです」
直江は、おもしろくなったと、剣を取った。直江が握り具合いを確認したところに、それでは短いだろうと、高耶が卯太郎のではなく、別な剣を投げてよこした。直江は、黙ってそれを片手で受け取ると、構えた。
「嗜み程度じゃねぇみたいだな」
高耶はにやりと笑う。
直江のそれは、確かに嗜みではない。職業柄必修だ。自分の身を守るのも、不意の攻撃をかわすのにも必要不可欠だった。

剣先を合わせた。高耶の鋭い視線が、剣よりも尖っている。
隙がない。打ち込む隙がない。
2人、動かず、そのまま睨み合う。
目が離れない。お互いを見つめ合う。
目をそらしたら負けだ。
高耶の漆黒の瞳は、まるで底のないブラックホールのようだ。直江は見つめていると呑み込まれていくような気がして来た。
風が2人の間を吹き抜ける。
どちらから仕掛けるか・・・
下手に動けば、打ち込んでくるだろう。
相手の息を見る。次第に同化して、相手の呼吸と合わせていく。
それは、不思議な感覚だった。

じりと、庭の小石の音がした。
直江が、片足を動かした。
にやりと高耶が笑う。
周りの空気が変わる。
張り詰めた糸が、ふわりとしたような、そんな空気の流れ。
ごくりと、卯太郎が唾を飲み込む音すら聴こえる。
直江は、片足をSの字に書いて、一歩下がった。
その一瞬に、高耶の小手が入った。
なんとも素早い。
こんな早い剣を見たことがない。
「お見事です!」
「おまえ、様子見したろ?」
「いえ、先ほどの少年との手合わせで、あなたの実力は、大体はわかりましたから、」
「見極めたってか?わかっていたから、手加減したな?」
「こてんぱんにやられるのは、私の性に合わないので・・・」
「負けず嫌いな奴だなぁ。まぁ、いい相手が出来た。しばらく、オレにつきあえ」
「はい、いくらでも・・・」
高耶は、さすがに当主というだけあって、有無を言わさぬものがある。

直江は、たったこれだけのことで汗びっしょりだった。確かにこんな剣の稽古をしたことがない。現場ですらない。真剣であったら切られていただろう。手首が赤くなっている。
・・・寸止めをした。
あの時、高耶は確かに寸止めをした。木刀は、当たっていないはずだ。
それなのに・・・
空気圧だけで、こんなになったのか・・・
高耶に、そら恐ろしさを感じる。
直江は、その手首をもう片方の手でさすった。

「腹減ったなぁ。卯太郎、飯は?」
「もう、できる頃ですよ」
「よし、行こうか?」
卯太郎の肩を抱いて歩き出した高耶が、急に振り向いた。
「直江、今日からオレと一緒に飯食おうぜ!」
振り向いた高耶の顔に夕陽が当たっている。
その笑顔は、まだ10代のあどけなさを残している。
さっきと同じ人物とは思えない笑顔だ。
・・・この人はいったいどんな人なんだ。
直江はそう思った。ひどく高耶に興味を持った自分がいた。
その時、直江は、新枕のことはすっかり頭から抜けていた。
  1. 森の中で
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プロフィール

kihiro0501

Author:kihiro0501
kihiroと申します。
「炎の蜃気楼(ミラージュ)」の非公式二次小説です。
ミラに感謝と愛を込めて、日々脳内妄想爆走させております。
私の設定は、ほとんど、ハッピーエンドが基本です。ご了解とお詫びを先に申しておきます。
今頃のミラですが、よろしくお願いいたします!

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